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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

ヘソの垢

ホワイト社会と呼ばれているような浄化活動は、昨今の人々の情緒を蝕んでいる。世間的に悪いと思われるであろうことがどんなことかわかる(=善悪の区別がつく)ことと、自分がその”悪”とされていることを憎む必要があるのかという問題を直結させてしまっているから発生する歪みだと思う。要するに、悪いと言われてることを見つけたからといって自分が怒るようなことは昔はなかったのに、最近は顕著にあるということだ。

「ゆっくり解説動画」というものはニコニコ動画youtubeよりも人気だった頃からずっとあるものだ。TRPGやSCPといった初心者がとっつきにくい遊びをわかりやすく解説するものが最初は多く、次第にもっと一般的な雑学や史実を語る動画も増えていった。その潮流の中に、”炎上案件”の概要を語る動画も見られるようになってきている。おもしろいのは、頻繁に「常識を疑う」「ありえない」「誰が見ても怒る」といった視聴者に批判させるよう仕向けるような一言を解説の中に挟んでいることだ。こんな動画を見た視聴者は、その”炎上案件”を叩かなければ「常識を疑」われるような「ありえない」人で、「誰が見ても怒る」ことに対して何も思わない非社会的な人物として眼差されることを恐れるあまりに”炎上案件”を叩き、自分の清い常識人ぶりを証明するためにさらなる「ゆっくり解説動画」を求めるのだ。この堂々巡りの浄化活動は一見公共の秩序を保つために行われているように見えて、各々が自分の正しさを他者に承認してもらうためだけの行為だ。

ここまでの話はぶっちゃけどうでもよくて、ただ、またずるの話をしたい。人を批判しない人は正直者で、率直な怒りを伝えることこそが自分の良心に対して誠実だと思って他者をあけっぴろげに批判する大バカ者はずるだと思う。批判しないのは怒りがないからではなくて、自分も人のことをいえるような立場ではないという自己認識も、干渉する必要がなければしないという正直で誠実な態度があるからだ。怒りを持つこととそれを敢えて発信することとの間には、パンツを履くこととパンツを公共の場で見せることと同様の知的レベルの差がある。それだというのに、自分のヘソの中に詰まりまくってる垢や陰部のにおいのことも忘れて浄化活動に勤しむとは何事だろう。そういえば、来た連絡に気づいているのに放置する癖のある人はヘソの垢もビッシリとくっついたままだという統計もある。ホワイト社会のヘソは真っ黒だ。