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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

ずるにガチギレ

ずるをずると気がついていないふりをするずるは、かなり平気で行使されている。10代、20代までの人付き合いはそんなのばっかりだろう。30代からは自分もずるをすることに対してなんとも思わなくなっていくので平気だ。50代以降は、世界のいろいろなものが眼前に迫ってきすぎてずるどころではないだろう。

ずるとは、微笑みながら「これ、やりきる自信なくて~あなたなら得意だと思うから~」と言いつつ人にまずい料理や雑用を押し付けることが代表的であるように、あたかも悪意がない&救ってやる必要があるかのように見せかけて自分の得のために人に損をさせることだ。「損得感情で動くな」とのご金言もあるが、てめーは野菜に栄養がない場合”生野菜サラダ”なんか食うか?何をどれだけ食べても太らない場合ゆで卵にマヨひとつかけないで食うのか?「食うわ。好きだし」とか言っちゃうそういうところが、マジでずるだよな。ずるの不快さは、「申し訳ないんやけど…」的な態度を一切取らないところにある。つまり、自分は悪いことして(るつもりあり)ませんので無実ですという宣言を一方的に相手に下し、まるでずるを拒否するほうが悪いように見せかけようとするという、巧妙などす黒い悪意に満ち満ちているのだ。無理を承知で頼むわ、責任取れなくてすまんが、どうしても助けてほしいのだが、ぐらいの接頭語もなしに「はい、コレあなたの仕事だからやって!」といきなり切り出す不躾さは本当に常軌を逸しており、その意思の疎通の不可能ぶりはこちらの気を遣ってやろうという意欲を削ぎ、ぶっきらぼうに対応した結果責められるのはずるをしたほうではなくされるほうだ。ずるは一体誰を幸せにできるんだろう。

ずるは、もっと幼稚なものになると「自分だけみんなと違って不利な立場だから…」という背景をそこはかとなく匂わせてくる行為が代表的だ。特にずるが顕著な20代までのコミュニケーションにおいて、バイトのことを「仕事」と呼ぶずるが多いことは注目に値する。バカほどバイトの話ばっかりする(バイトをたくさんしているのは別にいいが、何かバイト以外に世界がないみたいな話題の乏しささえ感じてしまう場合は哀れむべきであろう)からその度に仕事仕事と言ってずるを日常的に重ねていくのだ。ミルフィーユ状のずるは、ゴワゴワの綿布団のようにずる人(ずるんちゅ)の頭の悪さと機転の利かなさと配慮のなさをカバーして損をする側に回る者たちに雪崩ていくのだ。本当に、ずるは一体誰を幸せにできるんだろう。

マジでずるするな。純粋な怒りはずるに対してのみ抱かれ、全ての天罰はずるが原因でくだるものとされている。今ずるをしてませんみたいな顔つきで生きるというずるをしている人たちもみんな、ずるの地獄行きだ。平気な顔でそのへんを歩くことはずるだ。ずるをするやつはみんな、ヨダレ垂らしてアホみたいな爆笑ヅラでいてくれればそれでいいんだ。