wordpress

wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

鏡の中のアクトレス事件の登場人物全員反省させる回

10代の頃運営していたイタいX(旧Twitter)のアカウントが消えてくれていた。イーロンマスクありがとう。そのアカウントは、イラブのハッカーに乗っ取られパスワードも変えられてスパムアカウントに成り下がっていたものの、わずか3日でハッカーによるやたら長いURLのついたふしだらな投稿も途絶えもう誰にも見向きされない凄惨な姿だけデジタルデータに残していた、ネット上のダークツアリズムスポットになっていたものである。アイコンは四角くてふぁぼが星マークだったし引用リツイートの機能がなかったから手作業でコピペしていたあの頃。おそらく当時リプを飛ばしあっていたフォロワーどももおっさんやおばさんになっているだろうし、その大半は私と同じように負の遺産になっているはずだ。

 

なぜ人は自分の過去の愚かさを定期的に思い返してしまうのか?イタXアカウントはもう変えようもない過去の話だし、さすがに10代のころと今とでは思考が異なるから反省して今後に活かそうとしたとて現実的には無意味だし、思い出しても不快になるだけだ。それでもやっぱり蘇る自罰的な衝動の正体は何か?そのヒントは「鏡の中のアクトレス事件」に隠されている。

(次の動画にはアグレッシブな口論の様子が記録されているため、人が感情的に声を荒らげる様子を見るのがつらい人は再生しないことをおすすめします)

あまりにも有名なこの動画は、家庭環境に恵まれている者とそうでない者を判別するためのリトマス紙として広く認知されている。

常に威圧的で母娘より優位に立っていないと気がすまない父、能力が低い上にそんな父に辟易とするあまり素直に謝ることも適切に感情を表現することもできない母、ただ気の毒な娘。さまざまな世論があるが、こういうとき夫婦を客観的に見てどちらが支持するに足る人物か正確にジャッジできるのは子ども(娘)である。娘はどちらかというと母側の味方になっているような態度が見られるため、どちらかというと母のほうに正しさがあるといえよう。もちろん同性同士の精神的つながりから日頃母と一緒になって父の悪口を言っていたような背景があるとすれば、父に対して不公平な判断にはなってしまう。しかし娘は父母双方に対して「もうやめて」とか「どうでもいい」とか自分の考えを言えているし、その際は母に過度に肩入れするようなこともなかったので、それなりの精度で善悪を判断し表現することができると考えられる。よって娘の態度を見ると、父のほうが理不尽なキレ方を日常的にしていて、何度もそのような態度をとられ続けた結果として母も大声(ヒス)で黙ってもらうことでとりあえず自分の心を守らないと限界を超えてしまうようなラインにきていたため、もともと上手に気持ちを人に伝えることが能力的に苦手だったことも相まってやむを得ずパルキア化してしまったのではないかと考えられる。同じ人間と何十年も一緒に居れば当然起こりうる事件である。「ごめんなさい自分が間違ってた」を互いに自然に何も気負わず言えるような時期はとうの昔に去り、最低限あるべき思いやりの維持・回復が何らかの理由でできなかった(またはしなかった)ツケが回ってきたのであろう。

こういうとき、こういう相手にこそ、過去の愚かさを自ら省みる態度が求められているのではないか。過去は変えられないし過去の自分と今の自分は違うからカンケーないと思ったとしても、夫婦のように他人との長い付き合いを良好に保つためには、持って生まれた性格や生育環境の影響を受けて後天的に獲得した偏見を確証バイアスを打破してでも反省し直さなくてはならないからだ。人に備わっている内省の機能は、健全な人間関係の構築ならびに生存確率の底上げや適切な環境下で子孫を残すことのために必要なのである。つまり生物にとって内省は非常に重要な役割を持つ心理なのだ。だから犬も悪いことしたら反省するし、叱られた記憶はずっと持っている。人間の鬱っぽさは犬の能力と同じことだ。

 

そのため、反省ができない生物はいずれ淘汰される。あ!!!!!!自分の中で反省しただけでそれを迷惑かけた本人に謝罪など適切な形で伝えることもせずアッサリと音信不通にしてサッサと次の人間関係に活かそうなどという人を踏み台にするようなナメた行動は反省とは言わないぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!私はそれをされた相手を一生覚えている。やり直すチャンスを何度も与えたのにもかかわらず無下にするような愚か者は大人しく淘汰されるがよい。モーゼが偶像になるとしたらそれは私か、犬の姿をしているはずだから。絶対に許さない。