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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

俺を愛せ愛せと歌うほうのラブソング、書きました

私は博愛主義者であるので、基本的に全人類、地球上・宇宙のすべてのことを愛している。世界は心底美しいと思うし、嫌われているような人のことも好きになってしまうことができる。昔、漫画広告でよく出ていた「私ってサバサバしてるから」とか「私以外みんなバカ」とかの主人公もなんだかいとおしく見えてしまうというか、そういう人に同情的な目線に立って見る景色はとても新鮮で、おもしれー女だなと思うほうなのだ。公衆の面前でツレの女のケツを撫でている若めの男ども(若いくせにこうなのがムリ)以外は好きでいることができる。

ストライクゾーンが広いためか、嫌われているものに目を向けてみると世界の不条理に気が付くことができる。たとえば、みんなパイナップルのことを嫌いすぎていないか?捌くのがめんどうなわりに可食部の少ないこの果実は、酢豚パイナップル、pinapple on the pizzaのみならず、パイナップル頭などという容姿を揶揄する言葉にまで使用されており、人を皮肉るにはうってつけの語彙となってしまっている。人間はいったいどこまでこの果実のことをナメるつもりなのか。

たしかにパイナップルというのは既に保たれている調和に突如として出現する鮮烈さを持つたべものであり、果実界の青天の霹靂とも言えるものである。しかも最初のインパクトが強いだけで、酢豚やピザに入っていたところで特段おいしいといえるものでもないのかもしれない。でもそんな唐突さや一瞬の鮮烈さに私は非常に魅力を感じる。私も特別な日じゃないとなにもしてあげられないのかと思われるのが嫌だから、なんでもない日に前触れもなく手紙を書いてきて渡したり、急に謎解きゲームを作って解けた人に景品をあげたり、人と遊んでいるときに目的地を勝手に変更して自分だけ勝手に消え去ったりしているのだから、実質パイナップル人間である。それらの行為は別に嫌がられないかわりに歓迎もされなかった。しかしながら当の本人はそうやって他人を振り回すのを非常に楽しんでいるのだから、実はナメられているのはパイナップルではなくそれに辟易とする人間のほうなのである。全てが急、全てが極端、全てが即興的であっていいはずがないが、私はそれが好きだから他人にもそれを好きになってほしい。私を翻弄してくれ。私がこうなったのはお前のせいだからお前もパイナップルになるんだよ。はやく根を伸ばしなさい。根の産毛が私の心に触れるようになるまで。地中深くでは、なんもかんも忘れて、ミミズが泣いている………………。