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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

食事

人がものを食べる様子は醜態とされており、人に見せるようなものではない。理論上、動物が最もその獣性をあらわにする瞬間は欲求を満たしている最中と考えられるため、食欲を満たしている最中の人間もまた例外ではない。少し前に鯉の集う池に行ったら中国人が「おっとっと」を砕いて投げ入れているのを見つけてどうかと思ったが、彼女から「あなたもどうぞ」みたいな感じで手渡された「おっとっと」を私が食べるのも違う気がしたので池に入れたら、鯉は白目をむいて狂いまくり、水しぶきを激しく上げて私たちの夏の素肌に生臭い匂いを残し、濁流のごとく「おっとっと」のほうへひしめきあっていた。あのとき、食欲を刺激された鯉は「狂」としか表現できないほど凄まじいエネルギーをもっていた。食事シーンはやはり醜態である。

一方で、ユーチュービングしているとぱくぱくと大量のご飯にパクついている楽しげな動画もある。見ている層は主にダイエット中や療養中で自分が食べれない代わりに人が食べてる姿を見たい人とか、一人で食事するとつまらないのでそうした動画で一緒に食べてるつもりになりたい人とかだ。たしかに大勢で集ってパーティを開いたり家族全員揃ってから食事することが推奨されていたりデートの最初は基本的に会食だったりと、食事風景を複数人で見せあうことは必ずしも醜態晒しにはならないといえよう。おそらく、欲求に対して正直になる気持ちを解放することがこのような動画を見る動機になっているのだ。食事を楽しみ合うという双方向性が肝要だろう。

しかしながら、ASMR(自律感覚絶頂反応:Wikiより)として、つまり純粋に音と映像を楽しむための動画として食事風景と咀嚼音を世界中に公開している人もまたたくさんいる。私はユーチュービングの一環としてASMRの動画を見ることは多々あるが、個人的な見解として食事動画をASMRと思ったことはないので、敢えて本来恥じらいを感じさせられるような姿を食欲の解放を目的としていない視聴者が楽しめると確信してアップロードする行為についてはSNSが自己顕示欲の過充電を喚起した結果としか考えていなかった。実際自分の映っている動画をアップロードする心理的側面としてこういった傾向はあると思う。だがそれら”食事系ASMR”もまた、実質的にはパクつき楽しげ擬似会食動画と本質的には変わりないのだろう。アップロードしている本人の意図としては単に日々の食事を記録することと何ら変わりないだろうから。

いずれにしても「狂」的な醜態を感じさせることなく食事していることに変わりはないのだが、食事してるだけの動画を”ASMR”としてyoutubeにリコメンドされるとなんとなく反発したい気持ちが沸きあがってくる。ただこの「なんとなく」には根拠がないわけではないということだけyoutubeには知っておいてほしいし、食事は本来醜いものだからキレイに食べることを期待するな!!!!!!!あとエビの尻尾残すやついたら縁を切ります、尻尾だけにってね