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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

自らを散歩に連れ出す

人間の脳は、これといったタスクが何もないときに最もよく思考するようにできている。夜寝る前に考え事をしたり、風呂に入ってるときに急に名案が思い付いたりするのはそのためだ。特に散歩はタスクゼロの状態の中でも最も思考の糧を供給するために適しているもので、流れゆく景色をなんとはなしに眺めつつ一定の目的意識に基づいて足を運ぶごとに、家にいるだけでは絶対に思いつかなかったような発想に至るというものだ。

私は別にそんなこととは全く関係無しに散歩がただ好きなので、どこにも用がないのに外に出る習慣を作っている。この日は割と強めの雨が降っていたが、これがよかった。雨は中途半端に降るからうっとおしく感じるものであり、より高いところから高速で真っ逆さまに落ちてくる巨大な雨粒に傘が打たれる音や足元に雫が跳ねる感覚は実際のところかなりチルだ。

結婚をしたが、正直こうして一人で散歩しているときのほうが孤独を感じない。私はいつもそうで、他人と関われば関わるほど自分との距離の遠さや相容れなさが心に沁みてくる感じがするし、理解することもされることもとても無理で、本当に心の繋がった人間など実在しないと強く思う。ただ一人、自らを雨の中に連れ出してさまざまな景色をぼんやり眺め、互いに一切顔を覚えることのない通行人や植わっている草花や虫を完全に風景と一体化したオブジェクトと捉え、諸々のまとまらない考えを頭の中に薄く引き伸ばして拡散させるための燃料みたいにそれらを消耗していくことこそが私にとって本質的な生き方だ。これをするために、労働や社会生活や、それらに一瞬だけ期待感を抱いては打ち砕かれていくような経験といった多少の無理をこなしてきたのだ。

つまるところ、結局他人というのは私にとって期待を抱かせるものであるくせに必ず落胆と孤立感を感じさせるような、肩透かしな存在だ。家にとどまっていれば絶対にこのような発想には至らなかっただろうが、家に一人でいるよりも外に出るほうが他人という存在に対する現実的な価値を知ることができるなんて、ちょっと逆説的だ。いや、そんなことは一切関係なく、明らかにこの考え方は外出先の図書館で読んだ萩原朔太郎全集第8巻の影響なのだが、とにかく!!!!!!私は全く孤独を愛していないし、他人も愛していない。それは朔太郎も同じことだろう…。自らをして流れる風景に身を包ま使むることは、私の中では少なからず意味を持っている。だから土日に稼働する前提で仕事のスケジュールを勝手に決めるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これだから労働は…………。

トイペでパズル入門

おそらく大半の人間にとって、人生初の立体パズルはトイペをトイペホルダーにはめる課題だったであろう。
トイペホルダーには実に多様性があるが、どれもトイペの中心に穿たれている穴に何か通して支えることが目的となっており、目的が共通である以上、パターンが存在する。いま目の前にあるトイペホルダーがどのパターンを採用することでトイペの重量を支えているのか、つぶさに観察する過程の中に空間と立体を把握する能力が養われていくものである。

刮目すべきことは、トイペホルダーはトイペを支えるのみならず、トイペホールド力と使用済みトイペ芯の外しやすさをどちらも維持できる設計になっていることだ。昔は主流だった、あのWindowsXPのパチンコゲームのような三角形のペコペコするアームでトイペ芯の両端を支えるタイプのトイペホルダーは、トイペを使用するときにかかる引っ張り方向の力にはしっかり抵抗できるのに、芯を外すとき・新しいトイペをはめるときの上下方向の力には簡単に屈服する。

この設計の秀逸さを初めて発見するときこそが初めての他者の発見といえるだろう。つまり、世界には自分のほかにも意図をもっている人間が存在しており、古今東西どこに至ってもその人間たちが意図をもって設計したもので埋め尽くされていて、すべてのことには意味があるということの発見である。私たちはトイペにあまりにもたくさんのことを教わりすぎている。

パチンコアーム型トイペホルダーは、あまりにも偉大だった。あれ以上にトイペホルダーとして完璧な設計はない。それだというのに、昨今は長い棒の先にかえしをつけておいて、トイペ交換のときはかえしを避けるようにトイペ芯に棒を通すタイプが主流となってしまった。

いったいいつから、あの三角形のしくみは冗長だと気がついてしまったのだろう?いったい誰が、ただの金属製の棒にかえしをつけておくだけでホールドも取り外しも容易に可能となることに気がついてしまったのだろう?

消えたパチンコアームトイペホルダー。この謎を、悲愴を、どこに解決しにいけばよいのか。トイペホルダーは私たちの一生に初めてのパズルを提供し、そして一生解けないパズルを残して去っていった。

特製スペシャル鍋を腐らせた(ノンフィクション)

鍋を常温でまる二日放置した結果、当然腐った。鍋を常温でまる2日放置したことがない人のために記録を残しておこう。

その鍋は、材料費に2000円ほど費やして作られた特別エディションだった。私は日曜日に鍋をまとめてつくりそれを平日夜に少しずつ食べて5日持たせることで食費を節約しているが、これは消して積極的に好きで食ってるのではない。ただ安く栄養を摂るための義務汁だ。安く済ませようとすると毎回同じ食材になってしまい、キャベツ、しめじ、もやし、こんにゃくがスタメンで、1食食うたびに豆腐半丁を投入することでさらに嵩増しするという貧乏ぶりな上に味付けまでいつも醤油や味噌や塩であるので、本当に飽きる。飽きすぎて、帰途を辿りながらこれからその鍋を食わねばならないことを思うと嫌すぎて発狂しそうになるくらい、本当に飽き飽きで、辟易していた。自ら辟易ルーティンを生み出していたのだ。
でも、!!!今回作ったその鍋は、まずキムチ鍋である。いつも醤油か味噌か塩なのは鍋スープコーナにそのラインナップしかなかったからなのだが、最近やっとさらなる鍋スープが別の区画で売られていることに気づいたためやっとキムチ鍋を作ることができた。これだけでも十分辟易の牢獄を脱する鍵となりうるが、さらに具材として半玉150円という驚異の破格で売られていたかぼちゃと鶏ムネまる1枚という贅沢素材を取り入れた。鶏ムネは初めて切ってないものを買って、初めて自力で捌いた、思い入れのある一品である。かぼちゃもこれ以上安く買えた実績は今までないので、実質最安アワード受賞作ということになる。極めつけに、発狂するほど飽きる鍋をもう二度と作りたくなかったのでラーメンを2玉も入れてもはやチゲラーメンにしてやった…しかもよくある縮れ麺でなく、食べごたえのある平打麺を!!これは非常に素晴らしい。馬賊の坦々麺をも凌駕する力作がタッパー内に封じ込められ、本当に宝石箱のように赤くきらめいていた。

それだというのに、最後の最後にそのタッパーを冷蔵庫に押し込むのを忘れた。我が家には調理直後のアツアツのものを冷蔵庫にぶちこむと中のものがあったまって全部腐るという言い伝えがあったため、余熱をとってから入れようと敢えて放置したのだ。しかしその結果、ただの食料以上の意味を持つ渾身のマスターピースが全滅、すべて腐り落ちた…………………!!!!!!!!!!!!!!!!!!まず、帰ってきて玄関に入った瞬間から、このアパートの住人全員が一斉に私の家で屁をこきまくったかのような大根っぽいガス臭がした。人の部屋で屁をこきまくるなどという無礼を私は許さないので、ふざけるなと憤っていたら、タッパーが部屋の隅の暗がりに放置されているのを見つけた(私の家は普通のLED照明が備え付けされておらず間接照明しか明かりがないので、常に薄暗い)。近づくと野菜の饐えた臭いと納豆っぽい発酵臭が押し寄せて来、フタを開けたら糸を引く粘っこい白い謎の塊が鍋の表面に点在していた。私は多少酸っぱい匂いがして粘つくかもくらいのものはまあ食べるし食っても腹は平気であるが(ちなみにそういうものは酸っぱいだけでなく苦くて渋い)、それは傷んでいるどころか明確に腐っていた。白い粘液の塊は明らかに菌類の塊であり、タッパーはシャーレであり、私のスペシャルなキムチ鍋は臭い生ゴミだった…………………!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!こうしてただのメシ、ただの義務行為以上の意味を持つ、たくさんの栄養と思い出とはじめてが詰まったきらきらルビーの海(キムチ鍋)は腐海と化し、それらをゴミ袋に詰めて捨てに行ったときの水分を含んだ重量感は深く私に傷をつけた。

おい。こんなことが起きておいて、まだ野菜や肉を買って自前で飯をこさえてやろうと考えている自分が本当に貧乏臭く、みすぼらしく、雑魚と感じるよ。雑魚が生ゴミこさえたよ。雑魚が生ゴミこさえたよ♫ふざけるな。そして二度と私の前で屁をこくな。その匂いは私に腐海の記憶を否応なく思い出させ、鍋のために発狂する人生が永遠に続いていくことを意味するためだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(結婚した記念)女とサシで飯行った思い出全部振り返る

私が女とサシで飯行ったことは2回しかない。2回くらいなら全部振り返られると思うので、それをしようと思う。

1回目は成人したばかりの頃(※当時の成人の定義は20歳以上)、まともな成人の感覚として至極当たり前のように誕生日にドンキで茶色いタバコ(ラッキーストライクみたいな名前だった)を300円しないくらいの値段で購入しそれを週に1本ずつくらい嗜んでいた時分に、インターネットに私と同じように無目的な文章を放出することに何割かのリソースを費やしている女とのことだった。女は適当にキーボードに手をおいてたまたま当たったみたいな支離滅裂な名前で投稿を続けており、名前が支離滅裂であることからただ自らの個人的充足感のためだけに活動している感じがシンパシーを呼び、別にどちらから誘うということもなく飯に行く運びとなった。

飯に行く道中で井の頭公園のスワンボートに乗り、私より7歳くらい年上だったその女は5年以上付き合ってて同棲していたのに浮気され婚約破棄となったことを語った。これは当時の感覚からしても発言小町系の掲示板やVLOG系のyoutubeで何度となくコピペのように無数の女たちが語る内容であったため、やや食傷気味になりつつもその女が婚約破棄を自分の内側に抱えそれに伴う痛みをもって存在しているということに対してはおのずと畏怖の念を持った。この手の話を聞くたび、どうして10代の少女でもないのに相手が自分に誠実であるかどうかくらい見分けられないのだろうという疑念と、何も落ち度がないのに裏切られたという事実に対する哀れみが両方同時に押し寄せるので、当時もその両方の印象を女に対して抱いていた。

で、夕飯をもうどこだったかも覚えていない地下鉄の駅近くの店のテラス席で食った。酒を飲む気分にもならず、水だけで済ませたと思う。私は学生で所得がないという理由で、すべて彼女の奢りということになった。店が現金払いしか受け付けていないことにすべて食ってから気づいたものの、女は手持ちの現金がないため近くのコンビニでおろしてくると言って離席した。当時の私は完全キャッシュレス派であり現金を持つという発想もなかったため、女を待つことしかやることがない。喫煙者ならわかるだろうが、食後外気に当たっているとタバコを吸う気分になり、1本吸って待っていた。女は戻ってきて私のその有様を見るなり態度を急変させ、信じられない嫌味(あまりに態度の変わりようがが急速冷凍だったのと文脈もめちゃくちゃすぎてもはや何を言ったのか聞き取れなかったので、嫌味でもなかったのかもしれない)を捨て台詞として足早にひとり地下鉄の階段を下って帰っていった。

私は何が原因で彼女がそんなに怒ったのか、というかあれが怒りの表現だったのかどうかすらもまるでわからなかったため平気でメッセージを飛ばしたが返事が来なかった。このことがとても不思議な印象を私にもたらし、いい感じに創作の材料にできそうだったので今回の体験を基にした作文をあらゆるプラットフォームに投稿した。
驚いたことに彼女はそれを発見し、当時のあれは待ちながら喫煙していたことに対する怒りであるという説明をしてくれた。ちなみに私は現在大の嫌煙家と結婚しており相手との交際開始以来もう長いこと禁煙が続いている状態で、ヤニとは縁が切れている上に嫌煙家(非喫煙者)の意見もある程度は把握できている状態である。しかしながら、彼女の目の前で喫煙したわけではないので臭いや煙をまき散らしたということでもなく、店のルールとしてもテラス席なら喫煙OKで灰皿もあったのでマナ悪ということでもなく、私は喫煙者だったころでも吸う気分になったときしか吸っておらず(その日もその1本しか吸ってない)、ヤニカス・ヘビースモーカー・ニコチン依存といったダーティなレッテルを貼られるいわれもないのに、怒りのあまり理由も説明せず一人で帰られるほどのことをしたか????と今も思っている。当時もそれと同じことを思ったので、私も彼女のように何か信じられない嫌味を捨て台詞として返信して終わった。

2回目は結婚してからのことで、転職して入った会社の新入社員(中途)の女が相手だった。この女はかなり自分の好き勝手に人生をサーフィンしており、入社して数週間で年齢の近いすべての社員とサシ飲みをコンプリートしていた(何の目的があったのかは誰にもわからないし、たぶん彼女が行動するのに目的などないのだと思う)のだが、私にもお鉢が回ってきたというわけだ。

店決めは彼女に任せ、予約の電話だけ私が担当することで何かした感を演出し、当日を迎えた。ロケーションは安くて席でタバコをふかせる店ばかりが商店街の合間に立ち並んでいるようなドヤ町+下町のような感じで、その中でもまあまあ清潔で値段も破格というほどではないくらいの、まさに初めての相手と行くのにちょうどいい、焼き鳥屋だった。

仕事終わりだったので別に店に行く前に何かするということもなく、鳥が焼かれるのを待つ間特にこれといった話題もなく酒を飲みながら過ごしていた。というか、彼女と話したことを何一つ覚えていない。1回目の女とは真逆で、印象に残らないただの雑談しかしなかったがなんとなくずっと愉快な気持ちがしていたことだけは確かだった。あとはとりあえず、焼かれた鳥の味のすばらしさを互いに称えあっていたと思う。

彼女はいつのまにかチューハイ2杯でつぶれており、ふらふらになって帰った。そのふらふらになるというのも、本当に何かにつかまりながら左右に蛇行する形式での歩行でありわざとらしくさえ思えるものだったが、彼女は全社員サシ飲みコンプという何の意味もない活動をただ楽しむためだけに実行するような純粋なバイタリティの持ち主であるため、その蛇行が何かの演技や打算であるとは到底考えられなかった。何も覚えていないが、彼女も私も本心の一部を切り取って正直な意見を交換しあうことができていたのだろう。ちなみに今回の店も当然席でヤニを食える場であったが、そのころには私は既婚で禁煙していたし、彼女はタバコの臭いが本当に無理と最初から言ってくれていたので、特にヤニ絡みの騒動は起こらなかった。

全くの偶然ではあるが、こうして書き記してみると同じ女とのサシ飯体験でも、すべての要素が完全に対照的になっていることがわかる。ひとくちに女といってもさまざまだし、ひとくちに嫌煙家といってもさまざまであり、私の状態もそのときどきによって異なっている。これらの要素がランダムに組み合わさることによって人間関係が偶発的に構築されているのだとしたら、他人なんて本当に流動的でほとんど架空の存在のようなものだ。絶対にこの結果になるという確証がない状態で他者と接することは1人目の女との体験のように一種のストレスを生むし、同時にその混沌に完全に身を委ねられさえすれば2人目の女との出来事のようにわけのわからない愉快さを獲得するチャンスを秘めている。

おい!!!全員こんなことわかったふりをして他人と関わっているのか………?????そうだとしたら、私には気が狂っているようにしか思われない。だって、他者(浮気している可能性が極めて高い異性も含む)というカオスに我が身を投じるような真似ができるのに、なぜ誰も私の書いたものを読むという極めて安全かつギャンブル性の低い行為をやらないのだろう?そっちのほうがよほど有意義で、確実で、人道的であるはずなのに。なぜだ?読め。確かに私は何年もこの怪文書投稿プラットフォームを放置したし、結婚もしたが、それと文を読まないことには何の因果関係もあるまい。今すぐ読みなさい!!!!!!!!!

俺を愛せ愛せと歌うほうのラブソング、書きました

私は博愛主義者であるので、基本的に全人類、地球上・宇宙のすべてのことを愛している。世界は心底美しいと思うし、嫌われているような人のことも好きになってしまうことができる。昔、漫画広告でよく出ていた「私ってサバサバしてるから」とか「私以外みんなバカ」とかの主人公もなんだかいとおしく見えてしまうというか、そういう人に同情的な目線に立って見る景色はとても新鮮で、おもしれー女だなと思うほうなのだ。公衆の面前でツレの女のケツを撫でている若めの男ども(若いくせにこうなのがムリ)以外は好きでいることができる。

ストライクゾーンが広いためか、嫌われているものに目を向けてみると世界の不条理に気が付くことができる。たとえば、みんなパイナップルのことを嫌いすぎていないか?捌くのがめんどうなわりに可食部の少ないこの果実は、酢豚パイナップル、pinapple on the pizzaのみならず、パイナップル頭などという容姿を揶揄する言葉にまで使用されており、人を皮肉るにはうってつけの語彙となってしまっている。人間はいったいどこまでこの果実のことをナメるつもりなのか。

たしかにパイナップルというのは既に保たれている調和に突如として出現する鮮烈さを持つたべものであり、果実界の青天の霹靂とも言えるものである。しかも最初のインパクトが強いだけで、酢豚やピザに入っていたところで特段おいしいといえるものでもないのかもしれない。でもそんな唐突さや一瞬の鮮烈さに私は非常に魅力を感じる。私も特別な日じゃないとなにもしてあげられないのかと思われるのが嫌だから、なんでもない日に前触れもなく手紙を書いてきて渡したり、急に謎解きゲームを作って解けた人に景品をあげたり、人と遊んでいるときに目的地を勝手に変更して自分だけ勝手に消え去ったりしているのだから、実質パイナップル人間である。それらの行為は別に嫌がられないかわりに歓迎もされなかった。しかしながら当の本人はそうやって他人を振り回すのを非常に楽しんでいるのだから、実はナメられているのはパイナップルではなくそれに辟易とする人間のほうなのである。全てが急、全てが極端、全てが即興的であっていいはずがないが、私はそれが好きだから他人にもそれを好きになってほしい。私を翻弄してくれ。私がこうなったのはお前のせいだからお前もパイナップルになるんだよ。はやく根を伸ばしなさい。根の産毛が私の心に触れるようになるまで。地中深くでは、なんもかんも忘れて、ミミズが泣いている………………。

鏡の中のアクトレス事件の登場人物全員反省させる回

10代の頃運営していたイタいX(旧Twitter)のアカウントが消えてくれていた。イーロンマスクありがとう。そのアカウントは、イラブのハッカーに乗っ取られパスワードも変えられてスパムアカウントに成り下がっていたものの、わずか3日でハッカーによるやたら長いURLのついたふしだらな投稿も途絶えもう誰にも見向きされない凄惨な姿だけデジタルデータに残していた、ネット上のダークツアリズムスポットになっていたものである。アイコンは四角くてふぁぼが星マークだったし引用リツイートの機能がなかったから手作業でコピペしていたあの頃。おそらく当時リプを飛ばしあっていたフォロワーどももおっさんやおばさんになっているだろうし、その大半は私と同じように負の遺産になっているはずだ。

 

なぜ人は自分の過去の愚かさを定期的に思い返してしまうのか?イタXアカウントはもう変えようもない過去の話だし、さすがに10代のころと今とでは思考が異なるから反省して今後に活かそうとしたとて現実的には無意味だし、思い出しても不快になるだけだ。それでもやっぱり蘇る自罰的な衝動の正体は何か?そのヒントは「鏡の中のアクトレス事件」に隠されている。

(次の動画にはアグレッシブな口論の様子が記録されているため、人が感情的に声を荒らげる様子を見るのがつらい人は再生しないことをおすすめします)

あまりにも有名なこの動画は、家庭環境に恵まれている者とそうでない者を判別するためのリトマス紙として広く認知されている。

常に威圧的で母娘より優位に立っていないと気がすまない父、能力が低い上にそんな父に辟易とするあまり素直に謝ることも適切に感情を表現することもできない母、ただ気の毒な娘。さまざまな世論があるが、こういうとき夫婦を客観的に見てどちらが支持するに足る人物か正確にジャッジできるのは子ども(娘)である。娘はどちらかというと母側の味方になっているような態度が見られるため、どちらかというと母のほうに正しさがあるといえよう。もちろん同性同士の精神的つながりから日頃母と一緒になって父の悪口を言っていたような背景があるとすれば、父に対して不公平な判断にはなってしまう。しかし娘は父母双方に対して「もうやめて」とか「どうでもいい」とか自分の考えを言えているし、その際は母に過度に肩入れするようなこともなかったので、それなりの精度で善悪を判断し表現することができると考えられる。よって娘の態度を見ると、父のほうが理不尽なキレ方を日常的にしていて、何度もそのような態度をとられ続けた結果として母も大声(ヒス)で黙ってもらうことでとりあえず自分の心を守らないと限界を超えてしまうようなラインにきていたため、もともと上手に気持ちを人に伝えることが能力的に苦手だったことも相まってやむを得ずパルキア化してしまったのではないかと考えられる。同じ人間と何十年も一緒に居れば当然起こりうる事件である。「ごめんなさい自分が間違ってた」を互いに自然に何も気負わず言えるような時期はとうの昔に去り、最低限あるべき思いやりの維持・回復が何らかの理由でできなかった(またはしなかった)ツケが回ってきたのであろう。

こういうとき、こういう相手にこそ、過去の愚かさを自ら省みる態度が求められているのではないか。過去は変えられないし過去の自分と今の自分は違うからカンケーないと思ったとしても、夫婦のように他人との長い付き合いを良好に保つためには、持って生まれた性格や生育環境の影響を受けて後天的に獲得した偏見を確証バイアスを打破してでも反省し直さなくてはならないからだ。人に備わっている内省の機能は、健全な人間関係の構築ならびに生存確率の底上げや適切な環境下で子孫を残すことのために必要なのである。つまり生物にとって内省は非常に重要な役割を持つ心理なのだ。だから犬も悪いことしたら反省するし、叱られた記憶はずっと持っている。人間の鬱っぽさは犬の能力と同じことだ。

 

そのため、反省ができない生物はいずれ淘汰される。あ!!!!!!自分の中で反省しただけでそれを迷惑かけた本人に謝罪など適切な形で伝えることもせずアッサリと音信不通にしてサッサと次の人間関係に活かそうなどという人を踏み台にするようなナメた行動は反省とは言わないぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!私はそれをされた相手を一生覚えている。やり直すチャンスを何度も与えたのにもかかわらず無下にするような愚か者は大人しく淘汰されるがよい。モーゼが偶像になるとしたらそれは私か、犬の姿をしているはずだから。絶対に許さない。

思い川

 荒川をまたぐこの名もなき小橋は、現実上の泪橋である。深夜1時、黒い水面には河川敷に乱立する高層マンションの灯りが星のごとく反射していた。東京都であるというだけの理由で家賃が高いであろうこのマンションに住む有象無象たちの表情を、伊吹ジョーズは妄想していた。早く何らかの形で成功し、この橋の向こう側からこちら側を見下ろしたい。何を成し遂げようとしているのか、それは伊吹自身にもわからなかった。当然ボクシングは6歳の頃には食欲に負けて減量ができず挫折してしまった。中2の頃に買ったギターも、モテなくてやめた。高2の夏にはプロゲーマーデビューを志してはみたものの、母にユーチューバー専門スクールへの入学を大反対されたため断念。伊吹という人は、その逆境とも呼べぬような迂回すれば回避できるであろう問題にさえ、向き合える人間ではなかった。できることはひたすら憎悪すること。飽食の時代を憎み、女を憎み、親を憎み、その状態を十数年続けた伊吹は埼玉端子オックスフォード大学(俗称・タン塩大)に名前だけ書いて入学しモラトリアムの延長戦に突入していた。4年という猶予期間を謳歌する余裕さえ、今の伊吹にはない。とにかく伊吹が生きるには金が必要だった。金があればすべての問題は解決すると伊吹は信じている。今日も、この高層マンションに強盗に入るためのベスト・プランを練るために伊吹はこの小橋へ足を運んだのだ。たっぷりと水をたたえたこのどす黒い荒川に身を投じれば全てを終わらせてしまえる、という自棄クソ根性も脳内にかけめぐらせて伊吹は静かに狂っていた。

そのとき、鋭い破裂音とイヌのけたたましい鳴き声が同時に伊吹の両耳を貫く。荒川のこちら側でカップルが花火を始めていたのだ。ぴゅうぴゅう飛び散る火花が、カップルたちの灰色の破れたニューバランスのスニーカーを照らしている。それに呼応して荒川のあちら側のマンションで飼われているイヌが悲鳴をあげている。火花、灰色、喘ぐイヌ、ニューバランス、ぴゅうぴゅう笑う俺。伊吹はこの光景に爆笑していた。伊吹の爆笑はこの小橋の風景を構成する何者をも拭い去ってしまえるほど強烈なもので、外国人の釣り人や花火のカップル、川を飛び跳ねる魚、イヌ、夜空までもがこの笑い声を中心とした渦を形成しているかのようだ。伊吹の爆笑を中心とした森羅万象の渦渦渦、とにかくこのとき渦中にあった伊吹ジョーズは、間違いなく主人公だった。川べりの桜並木はもうすっかり青くなっていた。

 

 伊吹は昨夜の出来事を反芻し、結果お笑い芸人になることを決意した。人を笑う才能に恵まれていることに気がついたのだ。常人と感覚がかけ離れすぎている伊吹が他者と共通点を持つ術がお笑いくらいしかないこともまた事実であった。伊吹が師として崇めるユーチューバー・カルロス小西も「機会を待たずに今やりなさい。そして5年以内に形に残しなさい」と言っていたのを思い出す。伊吹が専門スクールの受験を断念したときからずっと胸に残していた言葉だった。他者への憎悪が強過ぎて完全に無視していたタン塩大のサークルの公式アカウントを早速ツイッターで検索する伊吹。しかし運動部とボランティアサークルしかヒットしない。彼らが学祭でたい焼きを250円という人を馬鹿にしたような値段で振舞っている写真などは伊吹の精神を最も著しく傷つける情報だった。俺より幸せそうな奴は赦せない。見渡せば見渡すほど憎むべき敵ばかりの伊吹には当然共にたい焼きなんぞを焼いて食うダチなんかいないのだ。また、たい焼きを買うためだけに遣われる金が赦せない。伊吹は毎食モヤシで、特別な日にしか醤油をかけない決まりだったのだ。そっとウィンドウを閉じた半日後、仕方なくインカレに頼ったところ、名門・東京ノッキングアウト大学(俗称・KO大)のお笑いサークルが随時部員を募集している旨のポストを目にした。その条件は、定期的に行われる大会に4ヶ月に1度は参加すること。それだけだった。それっぽち!伊吹の全身は空虚な自信と対象不明の優越感に震えた。年に3回ネタを書くだけだ。指の振動に任せてKO大お笑いサークルにDMを送った伊吹の足はスタイルバツグン・コーヒーショップへと向かっていた。ネタを書くなら当然スタバだ!

アイスコーヒーをデカフェで頼むという暴挙にもスタバ店員は応えてくれたが、これがどれほど有難いことか伊吹には感じ取ることができなかった。伊吹の視界は既に憎悪で満ち満ちており、全て敵、全て悪、全てを赦さないという一心に染め上がっていた。この憎悪こそがアイデンティティと信じ込んでいる伊吹にとっては、人を憎むことこそが自分が面白くなるための唯一の手段なのである。赦さない赦さない赦さない、血液が沸騰するような興奮状態でノートにペンを走らせていたそのとき!!!!!鮮烈に伊吹の瞳に飛び込んできたのは、伊吹が10年片思いしてきた幼馴染(と伊吹が勝手に認定している)・上植原パト子の姿だった。その妖艶な容姿から「セクシーピジョン」と呼ばれていた彼女の対面には有り得ないほど肥え太った男が座っている。その横幅はスタバの華奢な回転式籐椅子の2倍を優に超えるもので、ビックリ人間でしか見たことがないレベルである。伊吹に対しては志望校も教えてくれなかったようなセクシーピジョンが、今はこの巨男を前に相好を崩しまくっているではないか。伊吹は心臓が急激に冷え固まっていくのを感じつつ、かろうじてセクシーピジョンの視野から姿をくらますことが可能になるような席に移動することに成功した。新たな角度から垣間見えてしまった男の顔。こいつは…なんとカルロス小西だ!!!!!!小西は伊吹が動画を見なくなってから3ヶ月で推定150キロは太ってしまったようだ。懐かしさと好奇心が入り混じった感情を前に赦せない気持ちさえ忘れて伊吹は二人の会話に耳を傾ける。セクシーピジョンは赤羽にある看護の専門学校に進学していたようだ。小西が看護師の将来性と就職先の病院の選び方についてテキトーぬかしているのをセクシーピジョンは神妙な顔つきで聞いている。看護師は一般的な職種と異なり、土日が勤務日で平日に休みがとれる。だから若くて美形の医師がいる病院には就職してはならない。せっかく僕らが人の少ない平日にデートできるっていうのに、そいつに取られちゃったら元も子もないからネ。もお、バカなこというの、やめてよお。はぁ~~~~!!?!?!???!?伊吹はすかさずペンを取り、この怒りをノートに書きなぐっていった。赦せない赦せない赦せない、一心不乱にノートとセクシーピジョンと小西を交互に穴が開くほど見つめた。セクシーピジョンと小西のスタバデートは4時間にもわたり、その間伊吹はずっと盗聴をし続け、憧れていた二人には決して理解も共感も一切されないであろう愛憎入り混じる感情をペン先でもみくちゃにシバき倒していた。二人と伊吹の間には紛うことなき泪橋が架かっていた。伊吹は地獄の4時間を経験していた。

 

 22時。伊吹は真っ白に撃沈し、スタバ店員に閉店時間を知らせれてもしばらく動くことができなかった。おぼつかない足を交差させつつ帰路につくと、件のお笑いサークルの長より「タン塩大?聞いたことないけど、自分の名前漢字で書けるならOKです。字が汚すぎて読めないのはNGだけど」とやや斜め上を行くブラックジョークを交えたリプライが飛ばされていた。意味もなくニヤついて、伊吹は思索した。サークル主催の小芝居といえども賞レース、この長ならびに長の方向性に倣った方針でネタを書くほうが売れる確率はあがるのではないか。そのためにも過去の優勝作品をユーチューブで視聴したり、この長や周辺の幹部的な人間とコミュニケーションをとったり、そういう器用な根回しが必要になるのではないか。また、その行動が直接的には優勝に繋がらなかったとしても、人を憎むのをやめて素直に学び発表の場に挑戦するという経験が今後の人生を切り開く上で重要な手がかりになるのではないか。思考の森を歩きつつたどり着いた川口市のおんぼろアパートの鍵を開けて5秒後、伊吹は風呂も沸かさずおふとんの中にもぐりこんでしまった。伊吹もそこまでバカではない、とるべき手段や改善策を思いつきはするのだが、どうにもならないことに実行しないのである。実行しない理由はいくらでも思いつくが、どれも先刻から述べているとおり、どう考えても容易に迂回できるような理由ともつかない言い訳なのであった。伊吹はそのことにまだ気づくことができない。いくつもの挑戦をことごとく避けてきた伊吹は決定的に負けるという経験をしたことがないため、自分の間違いに無自覚のままぬくぬく生きてきてしまっているのだ。伊吹はこの後10時間、おふとんでぬくぬくした。

セクシーピジョンと小西の一件があって以来、伊吹のお笑いへの野心は幾ばくか減退したものの、有象無象たちに自らの力を誇示したいとの思い(憎悪)からネタ作りは進んでいった。もっとも、伊吹は怠慢な人間である。当然、他者から学ぼうとする謙虚さもなければ添削やアドバイスをしてもらえるほどの人脈も人望もなく、ひたすら油を水で薄めたようなネタが尺ばかりを引き伸ばしているのが現状である。しかしあの伊吹が2ヶ月も続けてひとつのことを熱心に(かどうかはさておき)続けていたのだから、伊吹にとってはその事実だけでも伊吹自身を鼓舞するに値するものであり、QOL向上に確かに一役買う要素として一定以上の価値のある行いだった。もう、あの小橋には訪れなくなっていた。今頃、桜並木は青から黄色に変色しつつあることだろう。

 

 こうして、KO大主催のお笑いコンクール「本気でバカやれまっかf●ckin'22」が開催日を迎えた。不器用極まりない伊吹もインターネットを通してなんとかエントリーできている。この間一度もKO大に足を運んだことがない(タン塩大も休学中)伊吹は、はじめて見る他の学生たちの覇気に気圧されるどころかお得意の憎悪感情をすこぶる昂ぶらせていた。俺よりも面白い奴は絶対に赦さない。俺よりもつまらないくせに笑ってくれる友達が多いからという理由でウケている奴は絶対に許さない。俺を面白がらせた奴も俺より優れているから絶対に許さない。伊吹はこうすることでしか自分の心を守れないと言ってもよい。つまりこの憎悪は伊吹なりの緊張の表出だったのである。すれ違う人を全て憎悪しつつ、誰よりも早足で人と人との間を縫うようにして会場へと歩を進めていく。

このコンクールは学生が主体で行っており、参加費も入場料も無料である代わりに物販で運用にかかる費用をまかなっているようだった。その中にたい焼きの出店は数件確認された。伊吹はそれらをもれなく無視しようとしたものの、「白いたい焼きの恋人」という文字列が刹那に伊吹の関心を引いた。その理由は単純で、セクシーピジョンと小西のヒミツのデート現場を目撃した伊吹の心中には弱者男性のスピリットが宿っていたためである。どうやら、かつて流行った「白いたい焼き」の生地を使用しており、本来であれば具を挟むためにあるはずの2枚の鯛を唇の部分のみくっつけた横長の形状で提供しているようだ。当然、そんなものは具なしで薄くて持ちづらいだけのたい焼き生地にすぎない。不格好で味も悪い俗物をありがたがってインスタのために写真を撮るカップルたちを伊吹は安心して見下すことができたものの、何ともなしに出店の真横のゴミ箱を一瞥した瞬間、驚愕のあまり急停止してしまった。

そこには一口も手の付けられていない「白いたい焼きの恋人」が、会場に設置された古い蛍光灯に照らされて浮き出るように光っていた。ゴミ箱にはほかに大量の包み紙やよその店で売っているジュースのプラカップや食べ残しが捨てられていて汚らしく混ざり合っていたにも関わらず、そのたい焼きには汚れひとつ付いていない状態だ。実際には写真を撮ったあとに捨てられたものでマナーの悪さを象徴する遺物であったのかもしれないが、とにかく伊吹の目にはこれが真の愛の形であるように見えた。たい焼きのバックグラウンドに横たわっているぐちゃぐちゃのゴミどもが伊吹の周りにいるカップル達であり、この捨てられた「白いたい焼きの恋人」こそが愛、伊吹が本当に求めているものであったのだと。伊吹は、なぜそう見えたかよりも見えたものに対して自分がどのように接していくかについて考え始めていた。伊吹が今回用意したネタは、醜い人間模様を描いた全部で3つのショートコント集。セクシーピジョンと小西のデート、幼い頃通っていたボクシングジムで自分をデブと罵ったコーチ、ユーチューバー専門スクールに行かせてくれなかった母、その他伊吹が憎悪しているものたちを歪曲させて作ったもので、実は3作は連続したストーリーを持つオムニバス形式にもなっている力作である。憎悪を原動力としていた伊吹の心にいま、愛が宿り始めている!伊吹はペンを走らせていた。ノートに書きなぐった赦せなさが、白いたい焼きによって愛で塗り替えられていく。伊吹はもともと温厚な心の持ち主であったため、愛と平和について語るに十分な雄弁さを持ち合わせているのであった。その隠れた才能、人を愛し人の幸せを願う心が紙面にほとばしる!!真っ黒なノートは黒鉛の反射で輝いていた。それを有象無象たちも見ている。伊吹は走り出した。舞台の幕は上がり、スポットライトが強力な光を放ち始め、今、開演時刻を迎えようとしている!

 

 「エントリーナンバー1番は本日初出場にして1番手を誰よりも早く名乗り出たナゾの新人、伊吹ジョーーーズ!!」

「ショートコント。幼馴染のデート現場についていった男。

(伊吹の心の声、録音の放送で)…お、あれってもしかして、僕が10年前からずっと好きだったパトちゃんじゃん!!ラッキー!

やあ、パトちゃん!オレだよ伊吹!高校のとき同じクラスだった…

あっ伊吹くん…?だっけ、久しぶりー。(目をそらす演技)

ね、ねえ!3年間同じクラスだったのに志望校も教えてもらえてなかったけど、今はどこいったの?

あたし?今はぁ、東京の北のほうにすんでるかなー。

き、北のほうって…その…市区町村とか…あの

えっ…(溜めて)市区町村聞く必要ある?いいじゃんカンケーないし(去ろうとする)

(食い気味に)じゃ学部は!大学では何やってるの!

学部?あー、まあいろいろかな!じゃ、ゴメンこのあとデートだから!

あっ(一瞬引きとめようとするがとどまる仕草)、うん!またねーーー!!!(惨めなほど大げさに手を振る)…デートだって!?どんなやつが相手なんだ!?

(しばらくコミカルに尾行する演技の後、舞台上の喫茶店セットに座る)

(伊吹)この喫茶店で待ち合わせだったのかー。相手の男は…

(男の声、すべて録音の放送で)あ、おまたせー。

(伊吹)え!?あの人150kgはあるけど!?

(男)ぴーちゃん待ったー?

(伊吹)ぴーちゃん!?本名とひとつもかすってないけど!?

(男)よっこらしょっと!(ガシャーン!と何かが壊れる音)

(伊吹)椅子からすごい音したけど!?

(パト子、すべて録音の放送で)カルくん、おそ~い!!

(伊吹)カルくん!?その見た目で!?

(カルロス小西)あーごめんごめん、またエレベーター止めちゃって遅くなっちゃったよー

(伊吹)そうだろうな!

(パト子)でさあ、あたしどーしても東京に住みたいってママにお願いして赤羽の看護学校行ったじゃん。

(伊吹)俺に言ってくれなかったこと、こいつには5秒で全部言ってくれるじゃん…

(パト子)でも看護とか全然キョーミないんだよねショージキ。カルくんいるから稼がなくてもいーし実習だるくてサイアク!

(カルロス小西)でも、ぴーちゃんの働いてるカッコイイ姿も見たいな。(語気強めで)ナース服でさ!!!

(伊吹)こっちがサイアクだよ…

(パト子)え~じゃあシューカツするー!!

(カルロス小西)でもね、若いお医者さんがひとりでやっている病院はダメね。ぴーちゃんカワイイから、そいつとデートしてたら僕たちのデート時間減っちゃうからね!

(パト子)もーやめてよ~!

(伊吹)デートすること自体はいいの!?パトちゃんも否定しないんだ!?

(パト子)あー、そーいえばここくるまでの間に高校のとき同じクラスだったっぽい人に会ったんだけどショージキ顔も覚えてなくてえ、なのに住んでる場所とか聞いてきてまじヤバかったー。

(伊吹)俺のことじゃん!

(カルロス小西)へー、男?

(パト子)うん。もう同窓会いけないかもー。そいついたら気まずいしー。

(伊吹)こっちもこんな現場見ちゃって気まずいわ…

(カルロス小西)ぴーちゃんのこと好きだったんじゃない?告られてくればー?

(パト子)キャーマジムリー!!

(伊吹)そうか…パトちゃん、」

伊吹はここで先刻ノートに書き加えたセリフを朗々と読み上げる。

「今までありがとう。きみが俺にくれた思い出は今でもずっと大切な宝物だ。きみを幸せにしてあげるどころか、喜ぶようなことひとつしてあげられず、そのくせ愛されたいと願った俺はバカだった。こんな情けない俺を許してくれ。

俺は今までの人生の中で何一つ成し遂げたものもなければ、褒められた記憶もない。習い事のコーチや親にも否定されてばかりだった俺はずっと誰かに愛されたくて、見ていてほしくて、そうしてくれない世の中をすべて憎んでいたんだ。でもきみを初めて見たとき、俺はきみをほかの誰よりも愛してあげたいと思うようになったんだ。きみが俺を変えてくれたんだよ、パトちゃん。

俺は自分のことを正しく客観視することができないんだ。もうずっと”できない人”として扱われているせいで俺も俺自身を信じることができないから、頭の中で常に俺を否定する声が鳴り続けてやまないんだ。こうしている今だって、きみに一方的に話しかけ続けている俺自身が嫌いでしょうがないよ。でもね、俺は芸人になったんだ。だからもしきみが少しでも俺のコントで笑ってくれたら、それだけで俺は生きていけるよ。きみを笑わせることができるなんて一生の誇りだから。きみの笑顔が俺にとって明日を生きる意味なんだ。

パトちゃん、大好きだよ。今はもう俺の知らない世界で俺の知らない男と東京で暮らしているんだから、俺がどうこうするつもりはない。でも埼玉のボロアパートできみのことを思いながら醜く努力している男がいることを、知っておいてくれると嬉しい。俺をこんな気持ちにさせてくれるなんて本当にきみは優しい子だね。ありがとう。さようなら…」

伊吹は深く一礼した。赦してくれ赦してくれ赦してくれ。

 

 静まり返った会場に向かい次のコントを披露しようとした矢先「続いてエントリーナンバー2番、前回優勝候補まで挙がったKO大の顔!ニシノーズ!!」と司会が遮り、スポットライトは伊吹を闇の中に取り残し逸れていった。運営役の学生に腕を引っ張られながらすごすご退場する伊吹の頭には「赦してくれ」の5文字しか浮かばない。伊吹の立っている闇の中からは観客の顔も見えないし、笑い声もあったかなかったか覚えていない。残り2作のショートコントを演じる前に退場させられてしまったことも伊吹にとってはどうでもよく、ただ心中には行方も知らぬままの愛が漂っていた。荒川の桜は裸になろうとしていた。