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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

離コーン🌽

8月末にりゅうちぇるが離婚すると聞いたとき、そこそこ驚いた。断っておくが、私は芸能人の私生活にあれこれ言いたくなるような感じではない。例えるなら、キティさんがダニエルと別れるような衝撃。この人たちの世界にも「別れ」はあるんだ、という類の驚きだった。

そのことがなんとなく今日気になったから、りゅうちぇるyoutubeを見た。生まれ故郷の沖縄に帰ったりゅうちぇるが、東京の友達ぺえにお土産渡しながらオリジン弁当食べてるだけのやつ。なんか泣きそうだった(りゅうちぇるが)。沖縄から東京に戻ってくるまではできたけど、方言はとれないし地元に関すること以外について話すための領域を作れてない。キッチン(吉本ばなな)読んだから、失ったものと一緒に住んでいた場所に居られない気持ちが想像できる。何話しても離婚のことに結びついてしまう感じだった。

離婚について、私は特に意見を持たない。ただ、日本に婚姻制度は必要ないなと思った(「日本に」としたのは、よその国の事情を私は知らないから)。子どもを育てるために両親が揃う保証のためという見方もあるが、りゅうちぇるみたいに子どももいて喧嘩別れしたわけでもない人が離婚するようなこともあるんだから、籍を入れることには意味がないだろう。

また、「学校の席替えで偶然隣に座った女性を好きになったら、もう席替えしたくないじゃん」という理屈で、子どもの有無に関わらず別れないという保証のために結婚する人もいる(ちなみに、上記のセリフを言ったのは芸人の小野島徹)。大半の人はこういう気持ちがあるから結婚するんだろう。

だが、そもそも人間関係は不定なもの(グラデーション)であって、釘を打って固定しておくのは不自然に感じる。これは別に、関係はいつかは終わるものだという意味ではない。そのときどきによって適切な関係性(距離感)を保つほうが、長い目で見たら良好に付き合っていけるということだ。ある人にとっては婚姻届は暴力の行使のように感じられることだろう。だって、別れたいわけでも一緒にいたくないわけでもないのに、「婚姻制度に疑問を持っている」という理由でそれを拒んだら、相手を本当に拒絶したと見なされるのだから。

他にもいろいろな理由で婚姻制度には疑問があるが、りゅうちぇるを見る限り、少なくとも離婚は悲劇のように思えた。かつて一緒に暮らした部屋にいながら、離婚の悲しみを遠ざけるために一生懸命ほかの話題を自分に提示しなくてはならない。このチキン骨付きじゃん、おにぎりは梅派だよ、あっキャンドルが消えそう…。そうやってても離婚の話がつきまとってくるので、「キャンドルが消えたくらいで人生変わらんよ」と言ってくれる友だちが必要になるようだ。離婚したら一人で生きていくのが難しくなるらしい。

結婚は特殊だ。失うのがつらいとわかっているから犬を飼わない人はいる(例:うちの両親)が、そんな理由で結婚しないという人は聞いたことがないどころか、むしろ失わないために結婚するから。する人もしない人も離婚した人も、快適に生きていける世の中になるといい。