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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

Z世代

「Z世代」という存在がひとりでに歩き始めている。別にZ世代じゃなくても仕事に不真面目で礼儀だけよくておとなしく消極的でプライド高く人の話聞かないし自分の間違いを認められず他人のせいにしてすぐ傷つくという特徴をもちあわせた人間はたくさんいるはずだ。人間としての練度が低いのをZ世代のせいにするな。若い頃なんて誰でもそうだろう。それをZ世代がまだおっさんやおばさんになっていないからといって、一生そんなふうであると決めつけてしまうのは違うんじゃないか。

そうはいってもやはり、世代間で考え方の違いがあることは明白な事実である。いっそ古代ローマ帝国のように働く人と働かない人をきっぱり分けてしまうような世界であれば、Z世代という呼称も生まれることはなかっただろう。労働者は労働者で団結し、市民は市民でノブレスオブリジュることによってバランスを保つことができる。彼らの間に対立は発生しないし、世代に関わらず生まれたときから人生が決まりきっているものであるのなら、敢えてそれ以上の分類(奴隷かそうじゃないか以上の仕分け)をすることもなくなるはずだ。私は奴隷に生まれて歌でも披露しながら駅で働きたい。駅の仕事は多そうだから、掃除に売店に電車のダイヤ回しに大忙しで充実している。それらの業務をすべて奴隷が担うから、実質世界は奴隷が動かしているのと同じだ。そんなの面白いに決まっている。駅には人が集まるから、私よりも歌が上手いやつや楽器を持ち込む吟遊詩人が現れるに違いない。そういうとき、そっと歌うのをやめて仕事だけしているように振る舞えるのを美徳として生きていきたい。奴隷に求められる美徳なんて、その程度のもんだ。ポリたん(市民)は世界を動かしているのは間違いなく自分だと思ってはりきってなにかしてくれるから責任はすべて彼らの熱心さに押し付けて、奴隷はめいめい大声で歌い踊り狂い、路傍の花を愛でるようなささやかな美徳を労働に添えて暮らしていこうじゃないか。

とでも言われた方が、Z世代の人たちは一生懸命働いてくれると思いますよ。