wordpress

wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

スマホのたまごっちウソでしょ?

ポストペットもたまごっちも死ぬようにできている。生き物は死ぬから尊いわけではないが、現実において生き物は死ぬと決まっているのであれば、たとえゲームのキャラクターであっても死ぬようにできているほうがより自然であると考えることができる。死は、残された人間に悲しい気持ちを引き起こさせるため、一般的には忌避すべき表現とされているが、たまごっちはキャラクターがすぐ死ぬゲームとして広く知られている。死だけでなく排泄もするし、睡眠や食事のルーティンも人間と同じようなタイミングで行い、死ぬだけでなく繁殖もする。生き物として極めて自然な表現がされているのだ。

しかし、「マイたまごっち」というスマホ向けアプリは常軌を逸している。

チュートリアルに出てくるまめっちは、自分が食事をとり排泄をし繁殖し睡眠をとる必要があることを理解していて、プレイヤーにそれらの補助をするよう要求する。その際の態度が、上の画像のように極めて高圧的なのだ。

まめっちは知的で冷静な常識人であり、長年たまごっち関連のコンテンツのカオ(はじめてたまごっちに触れる人でも親しめるような代表者)のポジションを恣(ほしいまま)にしてきた。まめっちのWikipediaには、バンダイ本社ビルの前に彼の像が建てられていることが示されている。たまごっちのカオはバンダイのカオでもあったのだ。そんな彼を、こんなふうに、うんち片付け命令たまごっちにしてしまったのはどうして?このあと、彼は画面の奥にあるトイレで排泄しようとする。だとしたら、彼が片付けさせたうんち(たまごっち世界では、うんこはうんちと表記される)は誰のもの?そして、彼はプレイヤーが彼のお腹を数回タップするまで排泄できない。彼の排泄のために私たちは彼の腸に物理的刺激を与える必要があります。マジ?趣味は発明、冷静な常識人であるはずのまめっちが???さらに衝撃的なことに、排泄を終えて外出した後、彼の家に見知らぬタマゴがやってきて赤ちゃんが生まれる。どこで作ってきた子だろう。その子が生まれてすぐ、「お世話はあなたの仕事です。じゃあ僕は外で遊んできます!!」とプレイヤーに告げ、去っていく。ウソでしょ?

以上の流れが、すべてBGMなし・外国人のボイス素材のみという異質な雰囲気の中で嵐のように過ぎ去っていく。たまごっちの食事、睡眠、繁殖、そして死が、今までいかに自然に表現されていたか思い知ることができる。「マイたまごっち」のチュートリアルをプレイするまで、ゲームのキャラクターが生き物としての生活を営む上でプレイヤーが介入するなんてことが、こんな異質なことだとは思わなかった。それと比べれば、ポストペットはずいぶんソネットにかわいがられていたんだなあ。