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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

コンピュータラブ

恋愛するなら顔と性格どっちが大事なの?という問題は、広瀬香美の歌でも立証されているように圧倒的顔であるという決着が現実上ついている。この傾向は、ネット恋愛の形が変わったことからも明らかになっている。

 

一昔前のインターネットでは自らの顔を晒すことに抵抗を持つ人が多く、みんな匿名で顔を隠し年齢も性別も居住地もなるべく明かさないで、特定のコミュニティの中で交流していた。これはリアルとインターネットとで完全に切り分けた人格を持っていたからだ。現実世界の知り合いが自分と同じインターネットの部分を見て自分と同じようなことを話しているとは到底思えなかった。もちろん流行りのサイト(だいたいの人が見たことがある著名な掲示板やネトゲ)はあったがその中でもコミュニティがまた分かれていて、よその集団にまでうちで盛り上がっている話を共有しようという意識は今ほどなかったはず。

それが今ではネットの中でもかなりカジュアルに流行が作られていて、インターネットを閲覧しているのなんてテレビ見るより当たり前だし大体の人は同じものを見ているから、現実の知り合いとネット上でも繋がりを持って関わろうとするために、顔写真をはじめとした個人情報をネット上にアップする行為がそこそこ市民権を得始めた。

 

そうなると、昔は完全に顔も年齢も住所も知らない状態から互いの性格を徐々に知っていくことで始まっていたネット恋愛が、今は現実での恋愛と同じように互いの顔もだいたいの情報も知った状態から始まる。相手の顔写真をスワイピングしてマルバツをつけていくマッチングアプリの仕組みを見ると、むしろ現実の恋愛よりも顔が重視される傾向がうかがえるだろう。恋愛以外の文脈においても外見で自己表現をすることに関心が高まっており、ファッションに国民的流行はなく、かといって個別に奇抜で個性的な格好をするのでもなく、各々が枝分かれしたジャンルの範囲中で好きなものを着ている。その影響で、外見を整えるために努力を怠らないのは女性だけという価値観も揺らいでいるし、髪型や服やアクセサリー類のメンズとレディースの区別も昔ほど厳密なものでなくなった。

このような環境下では恋愛に限らずあらゆる人間関係において顔、ならびに外見の整い具合が重視されるのは当然である。したがって、今誰からも相手にされていない人たちは決して性格ならびに精神的成熟度に問題があるわけではなく、単に外見にかける努力がもうちょっと足りてないだけだから、希望を持ってほしい。性格変えるより顔変えるほうが楽なんだから、世の中顔って言われた方が慰められるだろう?