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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

あやしがり

部屋の掃除をし、床に物を置くのをやめた。

アルコール依存症の真実という連載を毎回楽しみに読んでいるが、アルコール依存症患者は食事もとらずに時間とお金の全てを酒に費やすため、体力が低下し判断力が鈍り無気力になり体もボロボロになり、最後には排泄のコントロールや歩行といった基本的なことができなくなってしまうらしい。家の中でもトイレまで歩く前に漏らしてしまうとか、布団で寝ながら漏らす、おならのつもりで下痢する、といった粗相をしてしまうようだ。それに、酒をやめられず家族に迷惑をかける重度の患者は例外なく離婚されていて、ひとりきりの家で誰も世話する者がおらんので家の中はゴミだめになってしまう。そういう話を聞くと、体が元気で掃除ができるうちは家の中をきれいに保っておこうと襟を正すような気になれる。

酒の飲み過ぎで足が壊死するという話や骨の組織が作られなくなって生きているだけで骨折する話など、酒をそこまで飲んでいない私にもいつか起こることのように思えてくる。疑い深く暮らしていると高確率でその疑いは当たるものなので、おそらく他人事ではないのだ。

しかし不可解なのは、普通に生きて結婚するような人が何よりも飲酒を優先事項として認識してしまうという、まるで別人格に生まれかわったかのような変貌を遂げるところだ。何年生きても自分の命より大事なものが見つからない私にとって、命よりも酒を優先させる患者たちの人生の波乱万丈さは未知のものだ。アルコール依存症をいいことと言うつもりはないが、それくらい価値観が柔軟な人のほうが意味のある人生を送っていると言えるのではないか?もちろん、意味のある人生が幸せなものとは限らない。実際アルコールのせいで死ぬよりつらい目にあっている事例が数多く並んでいる。しかし、わざわざ生きているからには生きているうちにものの見方を二転三転させるくらいの変革を自らに起こしたいものだ。こんなことを言って、私のことを思考実験が大好きなイキリ自称研究者のうさんくさいオッサンと同じだと思わないでくれ。いや、むしろ自らを変革の海に放り投げるためにはそのくらいのリスクを背負う覚悟が必要だろうか。ということは、私もストレートで度数の高い酒を煽り床に物どころかゲロと下痢便をぶちまけ両親を泣かせるくらいの大失態を犯し、関係している人全員と絶縁されるリスクを負わなくてはこの命を意味のあるものにできないということだ。

じゃ、まずは異性の靴下売り場に足を踏み入れるところからね。下着売り場はそのあとだ。正直、異性の靴下売り場に足を踏み入れる行為って、酒を煽ることと同じくらい背徳的と思わないか?