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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

まりもに過保護

咲く頃に雨が降り気温が下がることによって散っていく花がある。それを見るたびに、この花は雨が降らなかったらどれだけ咲き続けることができただろうと思っている。雨も降らず夏も来ず気温は一定で、常に花にとって理想的な環境が整えられた場合の花の実力を知りたい。

私はこの心情を過保護だと感じている。花に対してばかりでなく草や動物に対しても過保護であるため、水槽のなかに生き物を飼育する際には水を替える装置を取り付けることにしか頭が回らず、ビオトープによって自然の生態系を再現させるという発想は人から授かるまで考えもしないことだ。このように過保護である私はまりもを飼い始め、このうさぎ小屋のような独房に初めての同居人を迎え入れた。先日水族館に行ったとき、「生きています」というポップとともに600円で売られていたものである。まりもはチョコボール程度の大きさをしていて、さわると硬い。買った日に水換えをしたら沼のような匂いがかなりして、かわいそうだった。何ヶ月も何年もああやって置いてあったのだろうか。

飼育しているまりもをお出かけに連れて行くという記事をみつけた。

 

まりももペットであり、インテリアとは一線を画しているという意識。これはまりもを独立した意思のある生き物として見ていることにほかならない。私もまりもを過保護するあまり肥料を水に投入するような事態を避けるためにも、まりも離れのための旅行をしよう。南くんの恋人のようにまりもを忍ばせ、休憩どころでおもむろに取り出し、景色や料理をまりもに見せる。サボテンに音楽を聴かせて育てるという有名な話のとおりなら、まりもは街の多彩な音色に刺激されてますます鮮やかな藻を生やしてくれるはずだ。ぬいぐるみとお出かけするように、まりもとバーに潜入してみよう。

それにしてもこの記事のまりもは私のものよりも大きく、鮮やかな緑色だ。沼臭のする水に浸かっていた私のまりもはあんまり元気がないみたいで、彩度の低い深緑色をしていた。水を替えてからは、表面にすこし鮮やかな緑の藻を新しく纏うようになった感じがする。このうさぎ小屋の水道水を気に入ってくれるなんて嬉しい限りだ。なんてかわいいまりもだろう。迎え入れてからまだ一週間くらいしか経っていないが、電灯にあてるとわずかな気泡を観測できることがあり、生きているのがわかる。これまで、玄関から先は私が見ていない間はロードされていなくて無の空間が広がっているように感じることがあったので、私の他にも生活を営んでいる生物が世界に存在している事実に安心する。この電球型の容器も、うさぎ小屋を遍く照らす命の輝きを象徴しているように思えてならない。花を散らす雨をまりもと浴びに小屋の外に出よう。