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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

ア道のゆくえ(榮太樓飴編)

榮太樓飴という高級飴がある。とても悲しい飴だった。その飴は缶の中に入っていて、中身の鮮度を保つために真空になっているためビールの瓶のように固く栓がされているのであった。その栓は普通の缶のように缶切りやプルタブで開けるものでも回して開けるものでもなく、硬貨などのひらぺったい金属を蓋の下に差し込んでひねって開けるというもの。ビール瓶を10円で開けるのと同じ方法をとらなくてはいけないのだ。そんな芸当が誰にできるの?しかし、どうやら江戸時代からそのような缶で売られており、缶を開ける所作まで含めて根強い人気があるらしい。私の榮太樓飴は10円で開けるのに何回も失敗したせいで360度缶の塗装が剥がれて傷だらけになってしまった。中の飴はものすごい甘さで、砂糖をそのまま押し固めたようなものである。噛むとガリガリならずギュッとした歯触りでとてつもない甘味が広がり、その密度を感じることができる。

榮太樓飴を食ったあと、冷蔵庫で2年冷えていた純露をとりだした。馬も喜んで食べているという純露は端っこをひっぱったらすぐにひん剥くことのできる安価な飴であり、噛むとガリガリするが、別にこれでいいと思った。もちろん榮太樓飴にも魅力はあって、非常に高温で押し固められた砂糖の味をこれほど究極のものにできるのは榮太樓飴職人だけであることも理解できた。でも2年冷え続けた純露で十分だ。あんなに栓を開けるのに苦戦したのにこの程度?って思っちゃうし、何より榮太樓飴の缶は開けるのが大変なくせに一度開けたら閉まらないようにできていて悲しくなった。このまま棚に入れたらアリがたかるから缶を廃棄し別容器にうつした。あの缶、何のために生まれてきたんだろう。傷つけられて開いたらすぐ捨てられる。惑星探査機やラジオゾンデも使い捨てられるものだがそれよりはるかに悲哀に満ちた缶だった。開かない、閉まらない、純露でいいの三拍子に私の理性は失われようとしていた。狂気のワルツ、榮太樓飴。