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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

中年シンデレラ

シンデレラやダンボやバンビを見て泣くことが多くなった。ディズニー映画はとても小さい頃に見た記憶しかなく、映像が綺麗で楽しいイメージだったのが、今になってみるとかなり重い話だったことがわかる。ディズニーのいう「夢」は、のほほんと幸せに暮らしている人が見る「あーあ、もっとおもしろいこと起きないかな~」のテンションのものではなく、普通の人では耐えられないような逆境に対抗するための唯一の手段として残されたもので、「夢」によってしか救われない人のためのものであると気づいた。どんなにつらく悲しいことが立て続けに起こって人生に絶望していても、どうにか今よりいい暮らしをすることを諦めないという具合の泥臭い努力によって支えられているのが「夢」だった。

そう考えると、「魔法」というものもハリポタのように与えられし者に慢性的に備わっているファンタジー能力というよりも、つらい中でもがんばって耐えている(自殺しない)人の人生が報われる瞬間のことを指していると解釈できる。心身ともに死なないで耐えていれば今よりは幸せになるチャンス(=魔法)が訪れるという希望(=夢)をアニメを通して与えていたのがディズニーだった。この事実には年を重ねれば重ねるほど身にしみるような感傷を感じる。ディズニーリゾートがバカ高い入場料をとってエンタメを提供していることとはまた別の次元にディズニーアニメの精神があるということを忘れてはならない。

カニコーセンという関西のおっさんの歌もちょうど同じような感傷を与えてくれる。

「泣いてる でも生きてる」渋いシンデレラだ。