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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

ひぐらし

ひぐらしのなく頃に」を最近見ている。人がたくさん死ぬが、この作品にとってあらゆる奇っ怪な出来事やキャラクターは決して創作上の非現実的なフィクションにとどまらないと思う。最後まで見るとわかるが、ああして人が死ぬこと自体は確かに現実には起こりにくいこととはいえ、死という事件をメタファーとして見ると各人物の感情や動機に私たちの生活に身近な衝動性や不安定さの表現として機能しているように見えた。その意味で、ひぐらしの物語は非現実的でありながらも、純文学的な必然性と比喩に富んだ構成になっているといえるだろう。

しかし、それでも驚くべきなのは人物がみんなあからさまに怒りや憎しみを表出できるところにある。それが作中において必要な描写だからといえばそれまでだが、全員他者に対して詰問したり一方的にまくし立てたりすることに全くの遠慮がない。言いたいことを言えないケースが現実では多い一方で、雛見沢の人々は他者に対する過剰な関心の高さと無神経さが併存しているという点でかなり衝撃的だった。

そういえばひぐらしを見てから厄日が続いている。具体的に厄日エピソードを書くと気持ちが沈むので言及は避けるが、怒られてでも家にこもってもっと明るい映画でも見ていれば良かったと思えるくらい散々だった。今日はもう何も考えたくない。