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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

苦役列車

必要だったので西村賢太苦役列車」を読んだ。電車での移動と待機時間の約1時間のうちに読み終えてしまうくらい平易な文体で、おもしろく読むことができる。どんな面白い本でも半分以上読みすすめたあたりから残りのページ数をカウントして左側のページの厚みがはやく薄くなっていかないものかとそればかり待ち遠しくなってくるものだが、この作品に関しては内容そのものに対する興味の方が勝るような稀有なものだった。

やたらと陰茎の描写が頻発し、尿や便や暴力や暴言まみれであったし、描かれている風景にどれひとつとして美しさを感じるものはない。生ゴミと労働者の洗ってない作業着の匂いがする、猥雑なホコリっぽい東京の郊外ばかりだった。それなのに読みすすめているこっちは爽やかにそれらを駆け抜けていくような小気味よささえ感じる。下ネタと暴力をギャグとして描いているから、下品なのに不快にならないのだろう。そのような構造はサブカルが大好きなパルプフィクションという映画にもそっくり見られるが、西村賢太はそんなニューアカ(死語)な大学生たちに一矢報いるというか、殺意満々の露出狂みたいな態度で正面衝突しており、意地でも認めさせてやるという気概を持って書いているのがひしひし伝わってきた。

そんな彼の私小説を、中卒じゃないし極貧でもないし肉体労働の経験もない私たちがおもしろいと言って芥川賞を獲った彼の作を読んでいるという状態が、すでに作家の意図が成功したことの証明になっているようだ。作中に出てくるニューアカの白ワンピ慶応女子みたいな格好を毎日している女は「全く面白くない、感想が浮かばない」とひとりごとのようにおっしゃっていた。こんなに血の通った作品でも、私小説特有の壁(私的な感情が少なからず込められているために、わかる人にだけわかればいいという作家の意識が一部の読者を疎外してしまうこと)があるものかと感慨深い出来事だった。