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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

逃げ恥

ア道のためにうっかり買ったボイスケアのど飴があんまりおいしいものではなかった。ミンティアのような苦甘い感じが好きではない。苦甘いタバコや歯磨き粉は全く平気なのに苦甘いミンティアは全く好きじゃない。しかし、うまくないからと一日に平均2粒は食べるようにしていると、毎日こころなしか声の通りがよくなったように思われ、無視されがちな挨拶を返されやすくなった。ポケモンのもちもの「こうかくレンズ」のように地味だが重要な効果を発揮している、参謀のような飴だ。

 

参謀キャンディを消費しつつ逃げ恥を見たがあんまりおもしろくなかった。人様の結婚や不倫や恋愛といったゴシップが職場の話題として最優先されていて、恋愛に疎くワーホリな設定の星野源がトラブル連発のガッキーとの契約結婚についてもはや非合理的といえるほどに奔走し、仕事ほっぽり出す。未婚率高まる中、よくああいった内容が受け入れられたなと感心した。

そして、星野源がかっこいいと言われるようになった発端は、ああいった女性慣れしてなさそうな男性がぎこちない愛情表現をしているところに萌えるという、ショタものBLを読む腐女子と同じ心境から来ていて、それは即ち庇護欲、母性をくすぐる仕草であるから好まれているのだと理解しかなり辟易した。女性慣れしていない男性を敢えてかわいがることには人のコンプレックスを刺激して笑いを取るような暴力性があるように思われて、なんだか手放しに受け入れられない。DTっぽい男性を敢えてかわいがる女性向け恋愛ドラマは地上波で放送できるかもしれんが、逆に喪女っぽい地味な女の子を敢えてかわいがる男性向けドラマを想像してみるとちょっとR18な感じがするところからも、やはり基本的に弱者の弱い部分を弱いからという理由で愛でることは不健全な気がしてこないだろうか?なんだか人が気にしてるところを商品化して消費してるみたいで。もちろん、逃げ恥の主題がそこにはないとは理解してるけど。

逃げ恥のほかにもウブで恋愛に興味がない男性が出てくる作品を見たことはたくさんあっておもしろいものもあるが、逃げ恥はウブさを表現として対象化するにあたっての現実との距離感が私には合わなかった。知らんけど、顔が悪くなくてあまり喋らない男子がいる中学・高校の教室で「逃げ恥の源みたい!」って言われて自分のこと嫌いになっちゃった子、いないといいな。あるいは、「逃げ恥の源みたいな男だったら私でもいける」みたいな感じで、ブス(私の言う「ブス」は内面的な意味でのそれを指します)の避雷針みたいになっちゃった子も。源はガッキーと結婚できてよかったね。ラブアンドピース!!!!