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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

おみあい

バレーで、複数の選手のちょうど間の位置にボールが落ちてきたとき、選手同士が互いに譲り合った結果誰もボールを取らず失点してしまうことを「おみあい」という。私は幼少期のころよりバレー以外の場面における「おみあい」の発生を意識していて、「おみあい」を打破するべく率先してボールを取りにいく役回りをやっていた。そのような人物は時に「ムードメーカー」と呼ばれている。どんな街へ渡りどんなコミュニティを形成しても、そこには必ず「ムードメーカー」と呼ばれる人たちがいて、遠慮して話すことができないでいる人の背中を押しつつ話題を提供している。

しかし、「ムードメーカー」をやっていると、誰も何もアクションを起こさないのは「おみあい」のためではなく、自分以外の全員が本当に本気で何もしたくないと思っているからだという結論に至る機会が少なくない。「ムードメーカー」がムードをメイキングしても、それは維持するか引き継いでくれる仲間の協力が必要だ。ライブが演者のパフォーマンスよりも観客の支えによって成立しているのと同じことだ。どんなに魅力的で一生懸命なプレイングを見せても、観客がそれに乗ってこないのでは、観客に滑らされてしまう。だから、「ムードメーカー」は「おみあい」を防いでいると同時に、その場にいる全員にそのムードを維持する役割を負わせているといえる。だから、そういった責任を強制的に負わせてくる「ムードメーカー」のせいでかえって何もやりたくなくなってくる人が続出すると、コミュニティは崩壊する。「ムードメーカー」は、時にはありがた迷惑な人物にもなりうるのだ。

一方で、「ムードメーカー」のほうも自らがどのように見られているかを鋭敏に察知する。ウザいぜと思われていることも全てわかった上で、それでも「ムードメーカー」を続けるかどうかという判断が常に問われているのだ。また、「ムードメーカー」は自分がその役割に向いているかどうかは考えない。なぜなら「ムードメーカー」は多くの場合やりたくてやっているのではなくて誰もやりたがらないけど必要な役目だからという義務感の強さだけで遂行されるからだ。したがって、「ムードメーカー」をやっているからといって上手に「ムードメーカー」ができるとは限らないから、適切な頃合を見計らって役割を降りるスキルがあるのかないのかによってコミュニティの顛末は大きく左右されるのだ。

 

お前はどっち?上手に「ムードメーカー」できてるのか?できてないなら、パス練習毎日最低100回はやりな。