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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

事故物件

必要だったので、江戸東京たてもの園に行ったことがある。名称のとおり、日本のあらゆる時代の建築物がそのまま移植され、かなり広い敷地内に寄せ集められている場所だ。

農家の質素な家から明治時代の呉服屋まで多種多様なたてものがあったが、中でも高橋是清の家は立派な日本家屋だった(元は赤坂にあったらしい)。ちなみに、江戸時代には火事が多かった関係で今東京に残っている伝統的日本家屋は平屋が多いのだが、是清の家は2階建てである。

2階はベランダも窓も広く作られており、庭にはシャクナゲの花が咲き乱れ常緑樹が涼しげな影を室内に落としていた。明らかに夏を過ごしやすくするための設計になっていて気持ちのいい和室だが、2.26事件は実はこの2階が現場だったらしい。

暖房器具は2階にはなさそうだったから、日本の寒い2月を是清は1階で凌いでいたに違いない。余分な熱を逃がさないように、立派な窓も凝った造形の障子も閉めきって、使っている部屋だけ暖かくなるように是清も工夫していたのだろうか。そこに陸軍が土足で上がってきて、是清は逃げるように外気で冷えきった2階まであがって、死んだ。

死ぬときくらい冬は暖まりたかっただろう。それを思うと、あの大きな障子も綺麗な庭も掛け軸がしつらえてあったのも、すべてが何かを隠すためにあるような気がしてくる。