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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

増田

増田(mous dia)が何を意味するのか知った。本当に日記らしいことも創作もなんでもいいところが昔のネットらしい。また、個人の手によって増田文学大賞が毎年ノミネートされたり他者の書いたものを引用して話を広げたりする文化があるところもまた2chみたいだ。

増田にちなんで私も増田っぽい文章を書いてみようかなと思う。

 

 小学生の頃、家族でBBQをしようという話になった。それも山で。当時私たちが住んでいた祖父の家から車で50分かかるくらいの距離だ。山自体はそこまで見所があるというわけでもなかったが、私はとてもそのイベントを楽しみにしていた。

前日の金曜日、クラスの大山田テルオと双葉蔵カホにBBQのことを話すと、大山田が突然目を見開いて「おい!君は知らないのか?あの山で行方不明者が出てるってことを」とすごい剣幕でまくしたててきた。詳しい話を聞くと、1ヶ月前にキャンプ場を予約していた3人家族が全員行方不明になり、今でも見つかっていないそうだ。その件の他にも過去に4,5件行方不明事件があり、行方不明者と思われる遺体や痕跡さえないらしい。噂では、山道にある小さな神社にお参りをしなかったせいで神隠しに遭ったとのことだ。怪談が苦手な私はかなりビビってしまったが、冷静な双葉蔵は「あんな小さな禿山で人がいなくなったらすぐ見つかるはず。それに神社があるなんて聞いたことがない」と分析していた。私もその意見に賛成だったし、前日になって行きたくないなんて言いにくいので、帰宅後は胸騒ぎを覚えながらも朝6時のアラームをセットした。

 起きると強い風が吹いていた。既に中止することが正しい選択のように思えたが、空は不気味なほど雲ひとつない快晴で、父は「これは追い風だな」とか能天気なことを言いながら荷物を車に積んで運転していた。

山に行くには双葉蔵の家の前を通る必要があった。何気なくその窓を見ると、大山田の後ろ姿が見えた。なぜ彼が双葉蔵邸にいるのか気にはなったが、そのまま先に進んだ。

ついに車は山のふもとの駐車場に停止した。私は万が一のとき除霊に役立つと思い持ってきたうめ塩飴を口に含み、細かい石でできた山道をふみしめていった。キャンプ場にはほどなくしてたどり着いたが、道中に噂で聞いた小さい神社らしいものはなかった。

ただの噂じゃないか…と安堵し、着火剤の準備をしていると、大山田が薪を運んできているのが視界の隅に見えた。直ちにおかしいと感じた私は、うめ塩飴の袋を持って走り、彼の肩をムリヤリ掴んで振り向かせ、うめ塩飴の個包装を破り、大山田の口にそれをねじこんだ。大山田は「すっぺ」とつぶやいて向こうに行ってしまった。呼び止めたかったがなんと声をかけていいかわからなかった。

父に「迷子になったかと思った!」と心配されて連れ戻された私は、肉の味もわからないままにBBQを終え、アイス食いたいとか理由をつけて山を早々に降りて帰った。うめ塩飴は結局大山田に持っていかれたままだが、無事に家まで帰ってこられた。

月曜日に大山田と双葉蔵にBBQでの出来事を話したが、大山田も双葉蔵もその日何をしていたか、どこにいたのか全く答えてくれなかった。それ以来二人とはなんとなく話さなくなってしまったが、大山田は数珠のようなネックレスを学校にもってくるようになったし、双葉蔵はほとんど毎週転んで怪我をするようになっていた。私もあまりにも古い記憶すぎて、ここまで述べてきたことのどこまでが真実だったのか覚えていない。ただし、うめ塩飴のあとに食べた焼肉がとんでもなく苦く感じたことだけは確かだった。