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wordpressの日記( https://yajiriinu.wordpress.com/ )の移植版

適職診断

「適職診断」をやったことがあるか?あれはワナだろ。職の選択肢の中に「芸術家」が含まれているから。一人じゃ食っていけないから会社に入って企業からお金もらう立場になろうとしてるというのに、自力で稼ぐ仕事提案されてもしょうがないさ。しかも、「芸術家」に向いてると診断されてしまうことが不名誉なことのように思えてくるし。

なぜ不名誉かというとそれは明らかで、たとえば何かを伝えたくて(相手も当然わかってくれると思って)一生懸命考えたことをしゃべったのに「それはすごいね、あなたは自分の世界を持ってるんだね」で済まされてしまうことはかなり屈辱的だが、「適職診断」に「芸術家」と言われるのはそれと全く同じことだから。暗に子ども扱いされているということ。ここでいう子どもとは幼稚という意味でも話が通じないという意味でもなく、相手にするまでもない(理解する必要がない)と判断され、機嫌とってればいいと思われてるってことだ。もちろんその立場を受け入れる生き方もあるが、それには岡本太郎のような強さが必要となる。そして私たちのほとんどは岡本太郎ではない。

しかし、職を判断することに役に立たず不名誉な結果であっても、「芸術家」と判断された人たちに向けられている確かなメッセージはある。そういうやつとして生きることに対して鈍感になればうまくいくということ。人は年を取るとどんどん鈍感になって自分の容姿が数ミリ単位で美形から離れていることとか不意うちで写真撮られることとかどうでもよくなってくるので鈍感は進化の証といえるのだが、逆に年齢を重ねるほどかえって鋭敏に、明瞭に認知されてくることもあるものだ。そして、「芸術家」の私たちが鋭利に反応してしまう自らが「芸術家」であるということに関して努めて鈍感であろうとすればするほど、ほかの敏感な人よりも早く孔子に近づける(孔子は年をとれば取るほど賢くなるという考え方らしいから)のだ。

「芸術家」という診断結果はむしろ天啓なのかもしれない。極めて凡庸で鈍感な人間ほどそのご利益あらたかに後光など差してくる存在であることよ。